back number「march」考察──車窓と心象4──

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 お次は「march」である。本作も「fallman」と同じく『あとのまつり』に収録されており、語り手は恋人を彼女の家まで送迎する車中にいる。Wikipediaによると、題名の「march」は暦の三月という意味ではなく、自動車の日産・マーチに由来するそうである。*1本作では車を走らせている彼の心情が淡々と語られている。彼は、自分と彼女との間で、想いの温度差があることを悩んでいる。また、それがためにこの恋が終わってしまうことを予期し始めてしまった。彼は助手席の彼女に何かを言おうとするのだが、お互い無言のまま、車は走り続けている。

ゆるいカーブの先で この道は終わるんだよ

助手席の君に今日は言えるだろう

突き放す事も抱きしめる事もせず

ふたつのライトは平行に照らす

(march/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

「この道は終わる」。彼はこの言葉を以前から彼女に言おうと考えていた。これは字面に沿えば単に帰り道を説明しているだけである。しかしながら、彼の中ではそれ以上の意味をもつものとして考えられている。彼女との関係について悩んでいる彼にとって、「終わる」という言葉はどのような文脈だったとしても禁句なのだ。その上で、この言葉を言おうと決めているのは、彼が別れを切り出そうとする意思の表れである。意思とは言いながらも、それはあまりに遠回しな行動であり、実際には、恐る恐る彼女の本音を探ろうという臆病さが含まれている。彼は彼女が自分と別れるという選択をとることを予想していても、決して願ってはいない。故に、彼は彼女につかず離れずの態度をとり、お互いの距離をまるで車のライトのような状態に保っていたのである。

僕の気持ちが落とし物なら 君の気持ちは忘れ物だね

それでも今も2人がここにいるのは なんで?

(march/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

 彼は二人が想いを同じくしていない悩みを、失くし物の例えを出して表現する。落とし物と忘れ物の違いというと、前者は失くし物の居場所を分かっておらず、探さなければならない。後者はあくまで持って帰ることを忘れただけであり、失くし物の居場所は分かっている。落とし物をした人間は、失くし物がどこにあるかを知らないために不安に駆られる。一方で忘れ物をした人間は、落とし物をした人間よりは落ち着いたものだろう。それどころか、忘れ物をしたことすら忘れてしまい、本当に平然としているのかもしれない。こうした不安感の差を、彼が彼女との交際において感じている。そして、疲弊してしまったのだろう。自分ばかりが彼女への想いを落としてしまったのかもしれないと不安なのに、彼女の方ではそうではない。そんな不公平な状態のままで、なぜまだ一緒にいられるのだろう、と彼はほとんど呆れながら疑問を胸の内に繰り返すのだ。

君の事を想って今日はゆっくり眠れます

それがすべて ぼくのすべて

それでいい そのままでいい

僕の事笑って今日はゆっくり眠れるかい

それがすべてではない

それでいい そのままでいい

(march/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

ここでも彼は、相手を想っているのは自分だけなのではないか、という不安を吐露している。「それでいい」、「そのままでいい」という部分それぞれの末尾には「?」がつくのだろう。つまり、自問自答をしているのだ。

 相手との不釣り合いな想いを語ったものとして、本作以外では『シャンデリア』(2015)収録の名曲「クリスマスソング」が挙げられる。

できれば横にいて欲しくて

どこにも行って欲しくなくて

僕の事だけをずっと考えていて欲しい

(クリスマスソング/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

「クリスマスソング」の歌詞が巧みなのは、一見すると月並みなテンプレートを並べただけに見せながらも、細部では語り手の不安定な心情を隠さず白状する点にある。ここでは「欲しい」という単語を畳みかけるように繰り返す。なぜ、ここまで要求するかと言えば、そこには語り手と相手との関係の希薄さ、相手の日常に一切干渉できない語り手の現状があるのであって、それは「ヒロイン」やそれ以前の作品から引き継がれてきたback numberの根強いテーマで……というと脇道に逸れ過ぎるのでやめる。

 「march」と「クリスマスソング」は、自分から相手への想いと相手から自分への想いが釣り合わないことへの悩みを語ったという点で共通している。しかし、前者は交際している二人で、後者は交際していない。「march」の語り手は相手からの想いを感じきれないために、交際しているのにまるで片思いをしているように感じている。「クリスマスソング」はまだ交際していないために未来への希望、期待感が残されているが、「march」では既に交際後である分、前者にはない失望感がある。

ゆるいカーブの先でこの道は終わるんでしょ?

誰が決めるんだろう

誰か決めるだろう

(march/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

 自問自答をする中で、彼は自暴自棄になりかける。この後の展開からして、「この道は終わるんでしょ?」との言葉は彼女のものではない。恐らく彼は今夜の送迎で「この道は終わる」と言いたいと考えていながらも、その決意がいつまでも定まらない。故に、自問自答の中で答え役にまわる彼の自意識が、問いかける彼を急かしているのだろう。そして、ついに彼は「誰か決めるだろう」と決断を投げ出してしまう。この一時的な決断の放棄によって、彼の意識は内から外へと向けられる。

揺れる稲穂も騒がしい虫も

自分の寿命に気がついているのさ

君を家まで送るこの風も

(march/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

車の窓から覗く景色の中で、彼の目に映るのは稲穂、虫、そして風である。彼はこれらが皆、「自分の寿命に気がついている」と感じている。寿命とは命の終わりであり、それは彼が彼女との関係において考えているものでもある。ではその稲穂と虫、風がどうしているかと言えば、揺れ、騒がしく鳴き、吹いている。つまり、その全てには動きがある。自分の存在がいつか終わってしまうと知っている。それでも稲穂は俯かないで揺れるし虫は黙らないで鳴くし風は止まないで吹くのである。こうした光景を目にして、彼の心情もまた動き始める。

君の事を想って今日はゆっくり眠れます

それがすべて ぼくのすべて

それでいい そのままでいい

僕の事笑って今日はゆっくり眠れるかい

それがすべてではない

それでいい そのままでいい

 

そのままがいい

(march/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

「そのままがいい」。この一言によって、「それでいい」、「そのままでいい」の後にあった「?」は取り払われる。彼は相手との不釣り合いな想いでいることの不安を肯定し、「それでいい」、「そのままでいい」と噛み締めるように言い聞かせる。そこには命の終わりを知っていても動き続ける稲穂や虫や風から、彼が受けた影響がみてとれる。つまり、たとえこの先この恋が終わると分かっていたとしても、彼女を想うことを止めることはないと彼は考えたのである。むしろ、終わりが見えているからこそ必死になろうと決めたのではないだろうか。

ゆるいカーブの先もこの道は続くんだよ

助手席の君にそっとつぶやいた

(march/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

 これが彼の自問自答の末に出た答えである。「この道は終わる」ではなく、「この道は続く」と彼は彼女に告げる。この言葉を受けた彼女の様子は描かれていない。しかし、それは決してこの作品の欠陥を示さない。なぜなら、彼女がどのような反応を示したとしても、彼は「それでいい」、「そのままでいい」と肯定するに違いないからである。

 以上、「march」について述べてきた。本作における窓は、彼が自問自答の終着点を見つけるきっかけとなった景色を映し出している。本作でも窓に映っていたのは「fallman」同様、過去ではなく現在である。