back number「one room」考察──「青い春」の先──

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 back number「one room」は2012年のシングルアルバム『日曜日』のカップリングとして収録された作品である。「one room」はシングルを除くとアルバム、ベストアルバムともに未収録である。本作はback numberのファンクラブ「one room」の由来となっており、検索エンジンで「back number one room」と検索するとまずヒットするのがファンクラブの公式サイトである。故に、その存在が周知される機会を得られないという点で不運に見舞われた作品だと言える。

 しかしながら、「one room」はまさしく隠れた名曲と言うべき作品であり、検索エンジンに黙殺されるにはあまりに惜しすぎる。そこで本稿は「one room」にて語られる失恋表現の鑑賞を行うことで、インターネット上に少しでも「one room」の内容の魅力を形として残すことを目的としている。もっとも、このような文章を投稿したところで、世間に与えられる影響は皆無といってよく、砂浜に砂の一粒を増やす程度のものでしかない。けれども、それでも語らずにはいられないというのがファンではないだろうか。

青いカーテンにぶら下がって

僕を見下ろしてる想い出たち

仕方がないだろう

僕は窓を開けて

春が終わった事を知った

one room/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

 本作が収録されたアルバム『日曜日』の「日曜日」は同棲中の恋人たちの幸せな生活を描いた作品だが、「one room」はそんな生活の終わり、ひいては二人の別れが描かれている。両作品の間に前後関係があるかは不明だが、共通しているのは互いにその曲調が穏やかなことである。楽しく暮らす恋人たちを描いている「日曜日」が穏やかな曲であることはともかく、明確に失恋がテーマになっている「one room」までもが穏やかであることには着目すべき点である。穏やか、とは実際どのようなものかというと、あくまで私感だが「one room」は卒業ソングのような、どこか悲しみを伴う悟りを開いたようなメロディなのである。「one room」が卒業ソングのようだと考えられる理由は、実はメロディ以外にもある。それは冒頭にある「青いカーテン」、「春が終わった」という描写である。

 まず、青について注目しよう。青という色は、back numberの作品おいて非常に意味深い表現である。本作が発表されたのは2012年で、メジャーアルバムでは『blues』の年にあたる。同アルバムに収録された「青い春」(2012)はまさに青をテーマとした作品である。

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まぁいいやが増えたのは 大人になったからじゃなく

きっと空気の中に変なものを

俺らが考えすぎんのを よしとしない誰かさん達が

混ぜて垂れ流しているんだろう

(青い春/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

back numberの作品において青は、色そのものというよりは青年、青春、青臭いといった若さを表すことが多い。「青い春」の他には「ベルベットの詩」(アルバム『ユーモア』収録)がこれに該当する。引用した歌詞はまさに子どもと大人の間を行き来する青年期の心情を描写したものであって、「青い春」の語り手は大人になりきれていない自己嫌悪の憤りを、子どもの立場から大人のはびこる世間へ向けた他責的な思考によって表現している。

 「one room」において青は「青いカーテン」として登場する。カーテンとは一般的には窓に取り付けるものであり、外から室内を隠す役割を果たしている。青いカーテンの青を若さという意味で捕えてみると、この作品でいう室内は心中であり、窓は心中から社会を見つめる瞳の役割を果たすものと考えられる。そして、その間にかかっているのが青いカーテンだったとすれば、語り手は若さゆえの未熟さ、「青い春」のような自己嫌悪のフィルターを通して社会や他人と関わっているという解釈ができる。そして、青が用いられているのが外から室内を覗かれることを防ぐためのカーテンであるからには、語り手はどこか自閉的な性格をもっている人物と推察できる。

 語り手は失恋という出来事によって窓を開く。つまり、社会(現実と言い換えてもいいかもしれない)と向き合う。青いカーテンに想い出がぶら下がっていたということは、語り手にとって今回の失恋は語り手自身の若さや、青臭いという意味では未熟さゆえの至らなさによって引き起こされたものだったとみてとれる。

 窓を開けた語り手は「春が終わったことを知った」という。春というのは、これまたback numberの作品において最重要ワードといっていいほど見逃すことのできない単語である。しかし、ここでback numberにおける春を語り始めると本当に春を迎えてしまうので省略すると、ひとまずは春が語り手にとっての恋を表し、春が終わったことを語り手が自覚したということは、彼が失恋を乗り越えたことを指すものである。

それなのに人も家も空も

何も変わらない街が

悲しかった

one room/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

語り手は「春が終わった」と言うのだが、実際、彼の目に映るものは何も変わっていない。それは彼が自分は失恋を受け入れたのだと自分自身に言い聞かせていながらも、それはただ口で言うだけで、実は何も変わっていないことを表している。「春が終わったことを知った」という言葉は偽りなのである。カーテンを開き、窓を開けた先の景色が何も変わっていなかったということは彼が早く別れた恋人との関係に区切りをつけようと試みているのだが、本心では受け入れることができていない。ゆえに窓から見える景色は春のままで静止している。彼は別れた恋人への未練を断ち切れていないのである。

今年の夏は花火に行こうね

君が残してくれたものを

見つける度思う

ああなぜ君を

信じられなかったのだろう

one room/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

 かつて聞いた恋人の言葉を思い起こし、彼は後悔に耽っている。「君が残してくれたもの」は物という形あるものや言葉のような形のないものに分かれるが、いずれも彼の部屋か心の内にあるわけだから、ここ彼は冒頭に見つめた窓から目を背けている。彼は失恋の原因を、彼が恋人を「信じられなかった」からだという。彼は恋人を疑い、そのために二人の関係へ亀裂が入ったと推察できる。そして、彼が恋人を疑ったことを後悔していることから、彼の疑いは誤りだったらしい。彼が真実を知った頃、既に恋人は彼のもとから去り、もはや帰ってこないという状況になってしまっていたのだろう。

テーブルの上の傷ひとつに

君を見つけている現状では

新しい恋はまだできないだろう

きみはどうだろう

one room/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

インターネットで語られる恋愛の都市伝説のひとつに「恋人の浮気を疑う人ほど浮気している」というものがある。しかし、彼の場合は違ったようである。彼の暮らす部屋には、かつて共に暮らしていた恋人の面影が残されている。テーブルについている傷さえも「君が残してくれたもの」であり、彼は恋人が去ってもなおその存在を部屋の中に感じている。「君を見つけている」という表現は、彼が意識的に部屋の中で恋人の存在を探しているからこそ出てくるものだろう。無意識であれば、見つけてしまう、となるはずである。彼がテーブルの傷を見つめながら「新しい恋はまだできない」と考えるのも、彼が傷を煩わしいものではなく、愛おしいものと感じているからに他ならない。

 テーブルの傷ひとつから恋人への想いを募らせた彼は、「きみはどうだろう」と恋人の現在を知りたくなり、再び窓の方へ意識を向け始めたと解釈できる。なぜなら、彼が問いかけている相手は部屋の中ではなく外にいるためである。傷から見つけられる恋人は過去の恋人であって、時を経て変化が訪れるものではない。故に彼が「どうだろう」と様子を気にする対象として、傷は当てはまらないのである。

僕がいなくても大丈夫かい

少し広くなった部屋が

悲しかった

one room/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

彼は続けて、「僕がいなくても大丈夫かい」と問いかけている。これは何の根拠のない著者の考えだが、誰かから「大丈夫?」や「元気?」というメッセージが来る時というのは、たいてい、受取人である私より送り主である誰かのほうが悩みや不安を抱えているものである。人は他人から言ってほしい言葉をおのずと他人へ言ってしまうことがあるのではないだろうか。そして、彼の場合もそうで、「大丈夫かい?」と尋ねるのは、彼が大丈夫ではないからなのである。閻魔大王のごとき無慈悲な観点から彼の問いに答えを出せば、お前がいなくても大丈夫だから出ていったのだと言わなければならない。実際そうでなければ出ていくはずがないのであり、当事者の彼にそれが分からないはずもないのである。分かっていてそれを言うからこそ、彼の感じている寂しさや無念さがいかに深いのかということが伝わってくる。

 彼は窓辺から部屋を見渡し、「少し広くなった」と思い、それが「悲しかった」と感じる。本作における「悲しかった」という表現は、もはやどうにもならないことに対して使われている。前半では、頭の中で春が終わったと考えてみても何も変わっていない現実に対して、そして、後半では恋人が去り、想い出に浸ってみても二人で過ごしていた部屋を一人で持て余してしまう現実に対して、この表現が当てられている。しかし、前半の彼は想い出にすがることで悲しさが逃れようとしているが、後半では変化が訪れる。

二人で買ったものを数えても

君の言葉を思い出しても

また思い知るだけ

ああ本当に

想っててくれていたのに

one room/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

幸せだった生活の欠片を集めても空しくなるだけ、と彼が考え始めている。また、「思い知るだけ」だと言う。部屋に置かれた恋人との思い出の品や、交わした会話を思い出すたびに彼が疑った恋人の想いを思い知らされるばかりだったのである。

二度と戻らないと

知っていながら

きっと捨てられず

僕は大切にしてしまうのだろう

なにもかも

なにもかも

one room/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

しかし、彼がいくら後悔したところで恋人が戻ってくるわけではない。それでも彼は恋人との思い出のすべてを「大切にしてしまうのだろう」と言う。自分のことなのに「だろう」と推定したような言い方をするのは、彼が自分自身を俯瞰的にみているためである。

 この引用部分は冒頭にも登場しているが、これは「悲しかった」同様、冒頭と終盤とでは意味合いが異なっている。冒頭では窓から目を背けた彼が部屋へ籠ろうとする意識を表現していた。一方で、終盤は窓を見つめながらこの言葉を言っている。これは恋人への想いを引きずったまま現実へ向き合おうとしている彼の決心ではないだろうか。悲しみの行き場を過去に閉じ込めていた彼の意識が、悲しみを現実に生きる自分の一部として位置づけようと変化しているのだ。本作はここで幕を閉じるが、悩んだ末に前を向いた彼の見つめる窓が閉ざされ、青いカーテンに覆い隠されることはなかったはずである。

 以上、「one room」について述べてきた。本作は自らの未熟さから恋人を失った人間が悩みと向き合った末、決着や折り合いはつかないまでも悲しみと共に現実を生きることを選ぶという精神的な成長が描かれたものだったのである。本稿では「青い春」と並べながら「one room」について考えてきた。「青い春」はアルバム『blues』の主役といっていいまでの代表曲であり、若さや未熟さそのものをテーマにした名曲である。Bluesといえば憂鬱や悲しみといった意味をもち、音楽ジャンルでは労働歌として扱われる単語である。back numberのアルバム『blues』のタイトルにもそういった意味はもちろん含まれているだろう。けれども、青がback numberにおいて若者を指すとして再度みてみると、blue(青)の複数形とみることもできるのではないだろうか。つまり、bluesはback number的な意味では「若者たち」だったのである。

 「one room」の語り手は未熟さを受け入れることで成長した人物であった。その点から言って、アルバム『blues』に入るには大人すぎたのかもしれない。『blues』の次に発表されたアルバム『ラブストーリー』には「繋いだ手から」、「君がドアを閉めた後」など、本作のように失恋から精神的に成長する語り手が登場してくる。その点から言って、「one room」は、こうした語り手たちの先駆けであり、若者と大人の対比ともいえる『blues』と『ラブストーリー』の間を繋ぐ橋のような一作だった、と評することができるだろう。