back number「スーパースターになったら」考察──出発のブルース── 1/2

 

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  back number「スーパースターになったら」は、2011年のアルバム『スーパースター』に収録された楽曲である。『スーパースター』はback numberの記念すべきメジャーデビューアルバムであり、中でも本作は現在もライブにおけるシメの定番曲として演奏されている。本作以外で演奏される頻度の高い曲は「高嶺の花子さん」、「泡と羊」、「MOTTO」などが挙げられる。しかし、アンコール前のラスト一曲という限定で絞り込むと、本作が断トツで首位に立つ。「スーパースターになったら」は、それまでに「結び」という意味付けを与えられた作品だということができる。

このまま終わってしまうのは

絶対嫌だなって思ってて

それでも何もせず変化を

待ってたら君もいなくなって

(スーパースターになったら/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

 本作の語り手もやはり失恋した人物のようである。語り手は既に恋人に去られてしまった後という状況におり、残念ながら破局を迎えた己の恋を回想している。冒頭の部分から想像するに、彼は恋人に去られてしまう前兆のような空気を感じていたようだ。それがいわゆる倦怠期なのか痴話喧嘩だったのかは不明だが、実態はそれほど問題ではないだろう。彼が嘆いているのは、むしろそうした問題に直面した自分の態度の方であった。

 彼は恋人と別れてしまうかもしれないと予感しながらも何もしなかったのだという。決して恋人と別れたいと思っていたわけではないのに、である。なぜか、と彼に問えば、「変化を待ってた」という答えが返ってくる。なんと情けない理由だろうか。けれども、何の見栄も張らずに彼を非難できる人間がどれほどいるだろうか。

君に嫌われる理由など

山ほど思いついてしまうけど

優柔不断と口だけの

二重苦がきっと決め手だった

(スーパースターになったら/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

なぜ自分は振られたのか、という疑問の答えを完全に理解できる人間がいるとすれば、その人は相当に幸運である。だいたいの人間は彼のように理解できず、答え合わせのない問題に取り掛かってしまうものである。彼が恋人から別れを告げられたのか、何も言わず去られたのかは本作の描写からは確定できない。しかし、仮に相手から別れを告げられたとしても、彼が恋人に自分の何がいけなかったのかと聞くことのできない人物だとは推察できる。それは彼が恋人に「嫌われる理由」を「山ほど思いついて」いるまでに自分の落ち度を自覚しているからである。ただ、彼の思う落ち度が本当に恋人にとって苦痛であったのかは描かれていない。おそらく彼は恋人から突然去られてしまった、もしくは連絡がとれなくなってしまったという線が濃厚で、そのために彼は恋人に振られた決め手について「きっと」と予想するしかないのだろう。

 本作が収録されたアルバム『スーパースター』には、同じく理由も不明なまま恋人から去られてしまった語り手が登場する作品がある。それはシングル『花束』のカップリングを初出とする「半透明人間」という作品である。

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どうして君は

嫌いだともう好きじゃないと

きちんととどめをさして

出ていってくれなかったの

だってそうだろう

終わってもいない事だけは

忘れられるはずがない

(半透明人間/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

この歌詞は自然消滅の失恋を味わったことのある人間ならば、わが意を得たりと膝を打つこと請け合いである。「半透明人間」というタイトルは恋人を忘れようとしながらも忘れられない語り手自身と語り手の記憶から離れない恋人の姿を指している。いわば未練がましく中途半端な自分を自虐した表現である。

他の誰かのとなりに居場所を見つければ

ちゃんと消えられるはずなんだよ

(半透明人間/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

ただ、この語り手は一応の解決策を見つけているようで、別の相手と関係を結びさえすれば昔の恋人を忘れられるはずだと考えている。「半透明人間」に特徴的なのは、恋愛相手に自らの「居場所」を見出している点である。この場合、居場所とは自己証明のひとつだと言える。なぜなら、彼が恋人と別れた途端に自らを(半)透明になったと自覚しているためである。彼のアイデンティティは他人と恋人のような固い繋がりをもつことによって初めて成立するものであり、一人きりでいることは誰からも存在を認められない状態に等しい。ゆえに彼は不安や恐怖を解消すべく、寄生先とも言うべき相手を求めるのだ。失恋を忘れるには新しい恋をするのが一番だとはよく言われることであり、「半透明人間」の語り手がもつ考えも、やや神経質なきらいはあれど決して少数派とは言い切れない。何かを忘れたい時に新しいことを始めてみるのは有効だろうが、こと失恋においては、そうやすやすと次の恋に移れないことは本作に限らないback numberの失恋ソングを聴いていれば明白である。

 失恋者はアイデンティティの居場所を失った不安を恋人との過去に浸ることで束の間の解消をはかる。そして、同時にこのままではいけないという未来への危機感との間で煩悶するのである。back numberの描く失恋ソングは、主にこの不安や煩悶をテーマにして描かれている。しかし、本稿で述べている「スーパースターになったら」は、他作品とは大きく異なっている。

君を取り戻す手段はひとつ

また好きにならざるを得ないような人に

(スーパースターになったら/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

 

スーパースターになったら

迎えにいくよきっと

僕を待ってなんていなくたって

迷惑だと言われても

(スーパースターになったら/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

語り手は恋人という関係ではなく、かつて恋人だった一個人を求めている。振られた相手への執着心は他作品にも多いが、後悔の後に「また好きにならざるを得ないような人に」なろうとした男は少ない。彼の内心において、かつての恋人は過去の想い出ではなく、現在の目標という立ち位置に置かれている。「迷惑だと言われても」、「迎えにいくよ」と奮起する彼の姿は、ストーカーのそれとしてうつるかもしれない。しかし、本作の語り手はストーカーのように執着していても、決して相手を恨んでいない。

世界の流れは速いから

たとえ僕の足が折れるまで

思い切り走ったとしても

置いていかれて

恥をかくだけだ

(スーパースターになったら/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

 

そうやって理由を見つけて

仕方ないよなとため息ついて

今まではここで終わってた

守るプライドを間違っていた

(スーパースターになったら/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

 スーパースターになる、という野望はあまりに無計画で大雑把だが、本作ではむしろそうした準備の必要性が否定されている。ここで肯定されているのは行動ただひとつである。元をたどれば、語り手の失恋は何も行動を起こさずに変化が起こるのを待っていたことが原因であった。やがて彼は自省の中で「守るプライドを間違っていた」と気づく。この部分に特徴的なのは、「プライドを守る」行為自体は否定されていないことである。プライドといえば何かとネガティブなイメージがあり、必要のないもの、むしろ持っていてはいけないものとさえ思われがちである。しかし、この言い回しによれば、そのような不要なプライドと同時に、守るべきプライドもまた存在していることになる。これはどういうことなのか。