back number「電車の窓から」考察──車窓と心象5──

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 さて次は「電車の窓から」である。本作はメジャーアルバム『スーパースター』(2011)に収録されている。『スーパースター』はインディーズ時代のアルバム同様に失恋ソングを中心にされてはいるが、「ミスターパーフェクト」、「こぼれ落ちて」など、恋愛とは異なるテーマを描いた作品の数々も印象深い作品となっている。「電車の窓から」もそうした作品の一つである。本作の語り手は走行中の電車内におり、窓から外の景色を眺めている。

生まれて育った街の景色を

窓の外に映しながら

銀色の電車は通り過ぎてく

僕を乗せて通り過ぎてゆく

(電車の窓から/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

初期back numberの作品の多くは私小説的な作風であるが、メジャーアルバムの中でそれが最も顕著であるのは「電車の窓から」ではないかと思う。「生まれて育った街の景色」とは作詞の清水依与吏の、そしてback numberの出身地、群馬県である。

なんにも知らずにただ笑ってた

あの頃には戻れないけど

もらった言葉と知恵を繋いで

今日もちゃんと笑えてるはず

(電車の窓から/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

 電車内の描写から続くのは何やら意味深な言葉の数々である。電車内から覗く窓の景色とは単に地元の景色を映しているのではなく、そこにいた過去の自分を映している。車内にいるのは現在の自分である。彼はかつての自分の姿を「あの頃」と振り返り、今の自分も変わっていないと思いながらも、「笑えてるはず」と不安げな心境を露わにしている。本作における窓は、現在の自分を対称にある過去の自分を映し出すものとして描かれている。電車の窓というのは夜間になると外がほとんど暗いこともあって、黒い一枚絵のように見える。群馬がそうだというのではないけれども、田舎の電車ではもろにそうである。そして、窓の前に立つと、そこに映るのは戸の前に立っている自分の姿である。そのはずなのだが、彼がみている窓には現在の彼がいない。彼は今、電車に乗るという行動をしていながらも自分の居場所を見失っている。あるいは自己否定の表れで、過去の中に自分を埋めようとしている。

電車の窓に見えたのは

あの日の僕と変わらない街

なぜだろう切なくなるのは

なぜだろう涙が出るのは

(電車の窓から/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

「あの日の僕と変わらない街」は、いつ見ても同じ姿をしている点で共通している。彼がこうした変化しないものに繰り返し注目することは、かえって自らが変わっていくことを強く意識していることを表す。しだいに彼は感傷的になり、自身に「なぜだろう」と問いかける。同時に「涙が出る」ことで、彼は過去に埋没しようとする自分を現在に繋ぎとめている。もしくは、過去へと決して逆行しない身体によって現実へ引き戻されたともいえる。

すべてを投げ出す勇気もないのに

ただ愚痴をこぼしてた

あの頃から

欲しくて欲しくて

やっと手にした切符だって

何の迷いも

僕にはないはずなのに

(電車の窓から/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

過去というのはしばしば美化されて思い出されるものである。しかし、彼が思い出している過去は「勇気もない」、「愚痴をこぼしてた」という未熟さをもっており、そう振り返ることのできる現在は成熟しているのだろう。ここではその成熟の末に手にしつつある、かつての自分が望んでいた未来への機会を「切符」という形で表現している。電車というのは敷かれたレールの上を走り、その乗客はその中に乗っているだけで目的地までたどり着くことができる、言ってしまえば予定調和を待つだけの存在である。けれども、同時に電車は過ぎ去った駅に戻ることができない。大げさではあるが、電車に乗るという行為には終着点まで振り返らずに向かうだけの覚悟が要るのであって、それが彼の言う「すべてを投げ出す勇気」を現在の彼が持ち合わせていることを示しているのだ。

あの日に電車をみながら

憧れ夢に見たような

場所までもうすぐなのに

なぜだろう涙が出るのは

(電車の窓から/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

 彼は再び「なぜだろう」と何度も繰り返している。この問いへの答えは示されず、彼は疑問を抱えた状態のままで本作は終わりを迎える。しかし、それはこの作品の欠陥を示すものではない。これまでみてきたback numberの作品というのは、その全てで失恋(あるいはその予感)の悩みを抱える語り手たちが初めの一行と終わりの一行で心境を一転させている。その点から、本作の終わりを考えてみると、そこには自己否定から自己肯定への転回があるのではないだろうか。彼はかつての自分が望んでいた未来に向かうための電車へ既に乗り込み、その中で過去の自分の笑顔を思い出す。そして、今の自分は同じように笑えているだろうか、と思う。彼は成熟してきたはずの自分が、実は退化しているのではないかと不安を覚える。おそらくそこで彼が居場所を見失ったのは、自分が電車に乗る、夢見た未来を掴む自信を喪失したためだったのだ。彼は自己否定をするなかで過去の感傷に浸るが、「涙が出る」ことでもう後戻りできない現実に引き戻された。そして、「なぜだろう」と問いかける。しかし、この時の彼は居場所を見失っていないのである。走り続ける電車のなかで、彼は同じように自らに問いかけ続ける。答えがでないのは、自分の過去を否定も肯定もせずにおこうという意思ではないだろうか。終盤において「なぜだろう」と問う彼の見つめる電車の窓に映っているのは、間違いなく現在の彼の姿だったはずである。なぜなら、涙を流しているのは紛れもなく現在の彼であり、答えを出さないという決断によって、彼は悩みながらも電車に乗り続けることを選びとったのである。

 以上、「電車の窓から」について私見を述べてきた。本稿で扱うback numberの作品は本作で最後である。次回ではこれまで考察してきた五作品を振り返りながらback numberと車窓についての結論を述べていく。けれども頭はまっ白である。