back number「then」考察──車窓と心象1──

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 本稿ではback numberにおける車、窓の描写と心象の関係について考察していく。back numberの歌詞に登場する「車」、「窓」という単語は、インディーズアルバムの『逃した魚』(2009)、『あとのまつり』(2010)といった、とりわけ初期の作品において頻出されるが、メジャーデビュー後の「電車の窓から」などにもみられる。車と窓は、back numberの作品を考察するにあたって重要なキーワードだと言える。ただ、back numberは楽曲の発表時期と制作時期が異なっているという場合がある。たとえば「Liar」という作品は『シャンデリア』(2015)が初出だが、制作時期はインディーズ時代である。そのため、本稿では車、窓が登場する作品を発表時期の順に即して扱っていくが、あくまで個々の作品における車と窓の描写がいかなるものか、という点に注目し、発表時期を押し並べた上での表現の変遷に関しては不問とする。

 まずは「then」という作品である。本作はインディーズアルバム『逃した魚』に収録されている。『逃した魚』というアルバムは失恋をテーマとした作品であり、本作もその種の一曲である。歌詞という都合上、作品の内容をまとめると抽象的になりすぎるのだが、簡単に言えば失恋後、日々を過ごしていくなかで移り変わる自らの心象を怒りとも嘆きともつかぬ激しい調子で歌ったものである。語り手は自動車の運転席に座っている。しかし、車がどこに向かっているかは分からない。なぜなら彼の意識は車の進む方向ではなく、かつての恋人が座っていた助手席の一点へと向けられているからだ。

助手席の窓から君と見上げた

夜空の星が消えてゆくよ

ひとつ ひとつ 色を失くすように

(then/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

彼は窓を見つめ、そこから夜の星空に恋人との思い出を見出そうとする。しかし、窓そのものは固定されていても、景色は決して固定されてはおらず、星は「色を失くすように」消えてしまう。本作と状況が類似する作品として、『あとのまつり』の「tender」が挙げられる。この作品も失恋した語り手が運転中、刻々と進んでいく時間を次のように描写する。

朝焼けが今2人を包んで引き離していく

今更君の名前を呼んでも

夜が君を飲み込んで消える

(tender/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

朝になれば夜空は白んでいき、星を飲み込むように消してしまう。「then」における「星」は「tender」ではそのまま「君」と表現される。後者の語り手も「窓を流れる街が泣いてる」というように、窓から景色の変化を眺めている。この二曲はほとんど同じ状況だと言える。

 さて、こうした窓の景色の変化は、語り手の心象にどのような影響を与えているだろうか。「then」では景色の変化を語り手自身の心の変化になぞらえている。

時は過ぎて 喜びも悲しみも想い出も

君と同じ 

逃げるように この腕をすり抜けて

(then/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

恋人と別れ、日が経つにつれ、彼は彼女と分かち合った感情や記憶を失おうとしている。それは彼が望んだことではない。腕をすり抜けるのは、今まで彼が失わないように抱きしめていたことの証左なのだ。しかし、それでも失われるのは夜空の星が朝焼けで消えていく現象と同じように逆らうことができない絶対的なものである。このことを踏まえた上で、本作の歌いだしをみてみる。

今も同じ歌声に変わらない感情を乗せて放つ

そのつもり それなのに

何か見つける度 何か落としてんだろう

変わらぬ毎日が変えたもの

(then/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

声というのは変声期を過ぎればほとんど変化しないものである。彼は失くさぬように抱きしめていた恋人への想いを歌声にして残そうとするのだが、うまくいかない。「変わらぬ毎日」だと自分で思っていたとしても、日々を積み重ねていけばそれだけ新しい人や出来事に出会い、既に過ぎ去った人や思い出は日常からこぼれ落ちてしまう。すると、たとえ声が依然と同じ音だったとしても、その源ともいえる感情は既に別人のように変わってしまっている。その時、彼は自分の願望が不可抗力の現実の前では何ら無力であることに気づく。

誰か笑う度に 誰かが泣いてるんだよ

色を失くしたのは誰でしょう

(then/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

この部分における「誰か」には、片方に「彼」、もう片方に「彼女」という言葉を当てはめることができるだろう。別れてしまった二人はもう別々の日常を過ごしているのであり、一緒に笑うことも泣くこともない。また「色を失くしたのは誰でしょう」と問えば、それは彼から逃げるように去っていった彼女だと言うこともできるし、新しい日常の中で彼女の存在を忘れようとしている彼自身だとも言える。ここで語り手は「誰か」、「誰」とすることで、意図的に正体をぼかしている。問いの答えは一つではないからである。

 歌詞は終盤へと入る。恋人と別れてもなお忘れたくない思い出を歌声にして表現しようと願う彼は現実を直視することで、彼女を忘れようとしている自分自身を発見する。その上で、「色を失くしたのは誰でしょう」と問う。その答えはどっちつかずである。けれども、それでも彼は答えを一つにしようと決断するのだ。

僕が歩いてきた道のすべては

変えることなど出来ないのに

そうか そうだ 変わったものは

(then/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

「歩いてきた道」とは、正しく過去を指している。過去は振り返ることはできても、戻ることは決してできない。それが現実を生きるということなのである。別れた恋人も今やそうした過去の産物と化したのであり、過去であるからには、彼女の方は、その去り方がどのようなものであったとしても別れたその瞬間から何も変わっていないことになる。彼女は既に彼の記憶の中だけにいるだけの、いわば時の止まった存在なのだ。すると変わったのは、と考えた時、彼は「変わったもの」の正体に答えを見出す。

助手席の窓から君と見上げた

夜空の星が消えてゆくよ

空いたシート弱く照らしながら

(then/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

それまで窓に映る星空に依存していた彼の視点が初めて「空いたシート」へと移る。かつて彼女がいたシートはもう空いたのだ、と彼は自らに言い聞かせる。夜空の星が消えていったとしても、「ひとつ ひとつ」と名残惜しく数えることはもうない。つまり、「色を失くした」のも、「変わったもの」も、彼女ではなく自分自身なのだと彼は決断したのである。この時、彼はかつての記憶を映した窓から離れ、彼が一人でいる車内、つまりは現実へと向き合ったのである。ただ、「弱く照らしながら」。星が消えかかっているから光が弱いのだろうか。それとも朝が近づき、微かながら日の光が車内へ傾きつつあることを示したのだろうか。いずれにせよ、最後の最後に「弱い」という情けない単語を使って締めるところがback number特有のニクい幕切れだな、と個人的に思う。

 

 以上、back number「then」について私見を述べてきた。冒頭で既に述べたが、この作品が収録された『逃した魚』は失恋が主なテーマである。しかし、この「then」は失恋というテーマをもちながらも、自分を振った恋人を責めたり、憎んだりといった他責的な思考へは陥っていない。むしろ、そうした思考を否定し、自分は彼女と別れ、そうして彼女を忘れていく、それでも流されるままに現実を進んでいくという前向きな作品だと言える。また、本稿では「tender」を「then」を理解するための補足として扱ったが、こちらも名曲なので、ぜひとも聴いていただきたいものである。