back number「海岸通り」考察──車窓と心象2──

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 次に「海岸通り」について考察する。「then」と同じく『逃した魚』(2009)に収録されている本作では、やはり失恋した人物の心象が語られており、歌い出しから「窓」という単語が登場している。語り手を悩ませているのは、恋人と最後に交わした言葉への後悔である。

「もう駄目だね」って言われるまで気付けなかった

「元気でね」なんてかっこつけなきゃよかった

(海岸通り/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

別れを切り出したのは恋人の方からだったようである。彼は彼女を引き留めることなく受け入れ、「元気でね」とさっぱりした別れの言葉を残した。しかし、やっぱりそれは間違いだったと後になってから思い直す。これが本作で語られる後悔の出発点である。

自分の気持ちに嘘をつかずに生きて行くことが幸せなら

会いに行けないこの僕を何と呼ぼう

特に珍しい事じゃないんだろうけど

(海岸通り/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏)

「then」では、かつての恋人が逃げるように去り、もはや復縁の見込みは無かったが、「海岸通り」では事情が違っている。彼はまだ彼女と繋がっており、その気さえあれば会いに行くことができる。しかし、「会いに行けない」。なぜか。それは彼がまだ本音を言えずに、かっこつけようとしてしまう自分を捨てきれていないからである。「特に珍しいことじゃない」とは、こんなことはありふれた悩みに過ぎない、という開き直りの言葉である。しかし、そのように現状を一般化して考える人物が、必ずしも物事を俯瞰した冷静な人物だとは限らない。かえってその逆で、自分の抱える問題を不特定多数の「みんな」に紛らわせることで他人事にし、考えることを放棄したとも言える。彼はこの期に及んでまだかっこつけてしまうのである。

二人窓の形をした海岸線の絵を

眺めて笑ってた日を何度も何度でも

思い出し笑ってよ

(海岸通り/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

本作の歌い出しに登場する窓とは、海岸線の描かれた絵画である。海岸線の絵はかつて想い合っていた二人の象徴であり、その記憶を思い出して、もう一度同じように笑ってほしい。それが彼の本音だが、会いに行けないので虚空に向かって懇願するほかないのだ。

 このように過ぎ去った恋人との思い出にすがりつきたい感情を「絵」という表現にたとえた他作品として、『スーパースター』(2011)収録の「あやしいひかり」が挙げられる。作詞の清水依与吏がポケットモンスターシリーズのファンを公言していることもあるから、この題の意味としては恐らく「混乱」が当てはまるだろう。「あやしいひかり」は別れた恋人と復縁する可能性を匂わせている点で本作と状況が似ている。

思い描いて引き裂いて

繋ぎ合わせた夢が

あの頃と同じ形じゃなくても

寄り添いたくて大声で

何度でも呼ぶから

その絵の片隅

笑って見せてよ

(あやしいひかり/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

「あやしいひかり」は、恋人と別れてしまったけれど復縁したいという願望と、もし復縁できたとしても結局また別れてしまうかもしれない、という不安の間で渦巻く煩悶を描いた作品である。絵というのは静止した時間を表現したものであり、それは二度と動かないという点で記憶を指すものでもある。しかし、ここでは絵を前にしながら「笑って見せてよ」と呼びかけている。別れたその時から止まってしまった二人の関係が、息を吹き返すように再び動き始めてくれたなら、と考えているのだ。「海岸通り」の「思い出し笑ってよ」にも、同様の解釈がいえるだろう。

 さて、彼が本音を隠したままでいるうちにも、日々は進んでいく。「then」と同じく、現実を生きるからには決して避けられぬ不可抗力の忘却が、ここでも問題として浮かび上がっている。

二人窓の形をした海岸線の絵を

眺めて笑ってた日が少し遠く見えた

全部嘘じゃないのに

 

二人はどんなに離れてても繋がれるよって言って

あんなに近くにいても駄目だったじゃない

別にもういいけど

(海岸通り/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

この箇所は、まるで会話のようである。海岸線の記憶が薄れていく中で、彼が二人で交わした会話を回想しているのだろうか。「全部嘘じゃない」とすがりつく彼を、「駄目だったじゃない」と彼女が突き放している。「別にもういいけど」は、この後にも彼の台詞として出てくるが、これは彼女の口癖だったのかもしれない。そうだとすると、彼は彼女と同じ口癖を使うことで、それが無意識だったとしても、思い出を遠のかせる現実に対し精一杯の抵抗をみせていることになる。

振り返らない 約束も全部無効だって

確か二人で決めたような 決めてないような

(海岸通り/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

 ささやかな抵抗も空しく彼は彼女と過ごした生活の記憶が曖昧になってきたことを自覚し始める。そうした危機を前にして、ついに彼は観念するのだ。

このまま時が流れればきっと忘れるんだろうな

君がそれでいいのなら

実は僕嫌なんだよ

 

男らしくないって言われてもやっぱり嫌だって言うよ

これでもう本当に最後にするから 今更って笑うかい?

(海岸通り/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

「君がそれでいいのなら」とかっこつけてしまいかけて踏みとどまった彼は「実は」と本音を切り出した。「笑うかい?」という彼女の笑顔を期待した描写がみられるが、これは冒頭の「笑ってよ」とはその意味合いが異なっている。冒頭では海岸線の絵という二人の過去を思い出してほしいと願っていたのだが、終盤では本音をさらけだした今の自分をみてほしいと願っているのだ。かっこつけを捨てた彼が彼女と正面から向き合おうと決意したことが分かる。

二人窓の形をした海岸線の絵を

眺めて笑ってた日にもう一度帰ろう

君と一緒に帰ろう

(海岸通り/作詞:清水依与吏/作曲:清水依与吏)

彼女と本音で向き合う彼は、海岸線の絵の記憶を、思い出すだけの過去としてだけではなく、これから二人で目指す目標として考え始めている。このことから、本作のタイトルが「海岸通り」である理由が見えてくる。それは、もはや彼が額縁に閉じられた海岸線の絵の前で佇むことをやめ、彼女と共に海岸線への道を歩こうと決めたのである。前回の「then」に引き続き、本作も失恋と忘却の窮地に立たされた後で、最後に奮起する内容となっているが、「海岸通り」はより具体的な行動が示された成長譚だ、ということができるだろう。

 また、本稿では「あやしいひかり」と併せる形で考察を行ってきたが、もしかするとこの作品が「海岸通り」の後日談で、「その絵」が海岸線の絵だったという可能性もあるかもしれない。けれども、そうなると「あやしいひかり」の内容からして救いがないので、これ以上は考えないこととする。