back number考察──車窓と心象まとめ──

 これまで五回に渡り、back numberにおける車窓と心象の関係を「then」、「海岸通り」、「fallman」、「march」、「電車の窓から」を通じて考察してきた。まずは整理がてら、それぞれの作品を簡単に振り返ってみる。

 「then」における窓は車の窓であり、窓には夜空の星が映っている。語り手は星をかつての恋人と過ごした思い出と重ね合わせている。そして、朝焼けに向かい星が消えていく様子を眺めていく中で、刻々と過ぎる時の流れを自覚し、嘆きつつも、最後は窓ではなく空いたシートをまっすぐに見つめる。

 「海岸通り」における窓は海岸線の絵の形であり、語り手はその絵を恋人とみていた記憶と絵を重ね合わせている。恋人と別れる際、素直になれなかったことを後悔している語り手は、かつての恋人のもとへ会いに行きたいという気持ちの前で地団太を踏んでいる。そして、自分自身の本音にさえ素直になれずにいる。しかし、時が経つにつれて、恋人との記憶が薄れていくことを自覚し、絵のように止まってしまった二人の関係を再び動かせるために恋人へ会いに行くことを決意する。

 「fallman」における窓は「then」同様、車の窓である。語り手は恋人のもとへ合鍵を返しに向かう車中にいる。語り手は車窓の景色がかつて恋していた時と比べて寂れてしまっていると気づきながら、やがて恋していた頃の自分の堕落を思い知る。そして、恋人のもとへ向かう目的は合鍵を返すことから、心を取り返すことへと変わり、いっそう車のアクセルを踏み込んで先を急ぐ。

 「march」における窓は「then」、「fallman」同様、車の窓である。語り手は恋人を隣に乗せ、彼女を家へと送る最中にいる。語り手は恋人との間にある想いの温度差に悩んでおり、自ら彼女に別れを告げようとしているが、決心がつかない。そして、窓に映る外の景色では稲穂や虫や風が、やがて自らの命が燃え尽きることを知ってもなお精一杯に動いていた。語り手はその様子を見て、彼女に別れを告げるのではなく、自分と彼女の間に想いの差があってもなお想い続けようと決心する。

 「電車の窓から」における窓は題名通り電車の窓である。語り手は電車の窓の中に、生まれ育った街の景色と、昔の自分の姿を見る。そして、輝かしい将来を目指しながらも行動に移せていなかった自分の姿をみて現在の成熟を思いながらも、無垢だった頃の自分を羨ましくも思う。語り手はかつての自分が欲していた将来への切符を手にしていながらも、自分にその資格がないのではないかと不安を覚えており、過去にすがろうとしていた。しかし、窓を見つめながら流した涙を自覚することで現在へと立ち返り、抱いた疑問への答えを出さないまま、悩み続けながら電車に乗り続けることを選ぶ。

 この五作品に総じて言えることは、語り手が悩める人物だということと、その停滞状態から脱するきっかけとして、窓が重要なキーポイントになっているということである。本稿を考察するにあたって、窓の他に「車」についても注目した。それは窓に関する対象作品を調べている中で、そのほとんどに車が登場していたためだったのだが、今このようにみてみると、車内という環境にも意味があったことに気づかされる。それは我々が自動車ないし電車に乗る際にとる姿勢である。車に乗る時というのは運転者であっても足と腕以外は動かすことなく、座った姿勢のままでいる。電車に乗る時は座ったままか、立ったままである。自動車や電車は、そこに乗っている人間を静止させたままで移動させる。そうした車と乗客の関係性は、本稿で扱ってきた語り手と時間の関係と全く一致しているのではないだろうか。つまり、語り手がどのように、どのようなことに悩んでいようが、過去の思い出にしがみつこうとしようが、時はそのまま進み続ける。車とはまさに時を表したものだったのである。「海岸通り」だけには車が登場しないが、「絵画をみる」という行動をとる際の状況を考えた時、動きながらそうするとは考え難い。やはり、立ったままや座ったままではないだろうか。どんなにしがみつこうとも決して逆らえない時の流れという現象は、車に乗る、絵画をみるといった静止行動によって表現されていたのである。

 そして窓とは、過去と現実のギャップに苦しむ者へ開かれた脱出口なのである。「then」では忘却の情景、「海岸通り」では本音の情景、「fallman」では堕落した情景、「march」では生命の情景、「電車の窓から」ではノスタルジーの情景を映すことで、窓は語り手に再び現実へと戻るきっかけを与えていた。窓は車のような閉鎖空間で静止していながらも、少し手を伸ばせば届く範囲にあるものである。「海岸通り」においては、目の前の絵画そのものが窓なのだろう。車の中から窓をみるという行為は、意識を内から外へ向けるということでもある。そして、初期のback numberにおいてその作品に車や窓が多く登場するのは、作詞作曲を担当する清水依与吏の失恋から始まった当バンドが指針、目的を聴衆へ主張するにあたり、これらが最も適した事物だったためである。車や窓とは、失恋や不安といった他者や社会、つまり外から否定されて閉じこもってしまった自分、つまり内であるところの心象を再び開放させたいという願いの、何よりの表出だったのである。